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アブロ・カナダ オレンダ : ミニ英和和英辞書
アブロ・カナダ オレンダ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


アブロ・カナダ オレンダ : ウィキペディア日本語版
アブロ・カナダ オレンダ

アブロ・カナダ TR.5 オレンダアブロ・カナダガスタービン部門で量産された初のジェットエンジンである。ロールス・ロイス エイヴォンゼネラル・エレクトリック J47等、他の初期のジェットエンジンと設計は似ていたものの、多くの点で勝っていて、カナディア・セイバーを最速の第一世代のジェット戦闘機にした。4000基以上のオレンダが1950年代に出荷され、アブロはエンジンで大きな成功を収めた。
== 開発 ==
オレンダの設計は1946年夏に王立カナダ空軍(RCAF)がアブロ・カナダに新型の全天候/夜間戦闘機を発注した事に始まる。エンジンを設計するためにアブロは独自のエンジンを製造する事を決めた。アブロはトロントのLeasideにジェットエンジンを開発する目的で設立された国有企業であるターボ・リサーチを買収した。
ターボリサーチは新型の戦闘機用に容易に拡大可能な最初の設計である推力 TR.4 チヌークを手掛けていた。量産の予定はなかったものの、経験を得る為にチヌークの作業の継続が決定された。
チヌークの作業が継続されたので、1946年、秋、アブコ社の新たなガスタービン部門は空軍との契約に必要とされる、より大型の推力の作業を開始した。Winnett Boydは1946年秋に詳細設計を開始し、1947年4月に契約が交わされた。唯一の主要な変更点はステンレス鋼製の10段目の圧縮段が追加され、同様に3段目がアルミニウムから鋼製に変更された事である。設計作業は1948年1月に完了して1948年3月17日に最初の運転が行われた、設計中、イギリスのルーカス社との間で燃焼器の設計を補助する契約が交わされ、原型での設計よりも長い燃焼器を使用する事になり、少し遅延した。TR-5はイロクォイ語で"正しい道の種族の魂"を意味する"オレンダ"と命名された。
チヌークでの経験を取り入れた事により多くの点で2機種は設計が似ており、オレンダの開発は速やかに進んだ。部品は1948年に届き始め、最初のエンジンは1949年2月8日に運転された。アブロは小規模の電気系の問題を解決した後、空軍やカナダ政府の高官を招き、秘密裏に試験を行った。2ヶ月間で100時間以上運転され5月10日に設計推力のに到達した。それは当時、この記録が翌年にロールス・ロイス エイヴォン RA.3に抜き去られるまで世界最強のエンジンだった。
7月1日時点で500時間以上の運転が経過し、477時間以前にこれらは再組み立てが必要だった。9月に1000時間に到達しそうだった時、機械工が彼のポケットにあった金属環を吸気口に入れて異物を吸い込みんだ。吸気口内から異物である金属環を除去するまで試験は持ち越された。損傷の修理後、再び試験に戻され、2基のオレンダ1が試験用エンジンに加わった。1950年2月10日時点において運転時間は共に累計2,000時間経過した。この時、7段目と8段目に亀裂が生じた問題により、再設計が必要になり、大幅に薄く作られた。この問題を解決して7月には累計3000時間に達した。
大戦中ビクトリー・エアクラフト(現在のアブロ)で製造された多くのMk.10の中の1機である改造されたアブロ・ランカスター''FM209''で飛行試験が開始された。外側の2基のマーリンエンジンがオレンダに換装され7月10日に飛行した。アブロのテストパイロットはオンタリオ湖からニューヨーク州バッファローの空域を楽しんで飛行し、随伴機の空軍州兵P-47を余裕で追い越した。〔Milberry, Larry, ''The Avro Canada CF-100'', McGraw Hill Ryerson, Toronto, 1981 ISBN 0-9690703-0-6 pp.46〕航空ショウで失策により4基のエンジン全てが停止したがオレンダはすぐに再起動して事なきを得た。〔この機体の累計飛行時間は1954年7月に500時間を超え飛行試験は終了した。1956年、7月24日、格納庫の火災で破壊された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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